『しぜんかんきょう』第二号
Interview #02
NPOアイデアルリーフ代表 田中俊樹さん
海を愛する者なら、サーフィンを終えた後のビーチクリーンは身に付いた習慣となる。一色海岸のアイデアルリーフの田中俊樹さん
「いつものサーフゲレンデが豊かな漁場の人工リーフであることを知ったことが、NPOアイデアルリーフの出発点でした」
アイデアルリーフとは、理想的な礁とでも訳せばいいのだろうか。NPOアイデアルリーフ代表の田中俊樹さんのサーフィン歴は50数年、10代の学生時代に鎌倉の稲村ヶ崎から始まった。 1970年初頭、日本で初めてサーフィンをスポーツとして大学内にクラブを設置したという。現在は葉山に移り住み、週1日は海に入り、一色海岸と海中のゴミ拾いを日課にしている。そんな田中さんがNPOアイデアルリーフを設立するという思いに立ったのは、1996年逗子市の市制40周年の記念行事の実行委員長を任されたことがきっかけだった。「10の部会の1部会が、逗子海岸の西の端に建つ石碑の調査をしました。この徳富蘆花の不如帰(ほととぎす)の石碑は、江戸城を築造するために真鶴から運んでいた船が大崎沖で難破し落としてしまった百人持ちと言われた安山岩のひとつだったのです。現在は、大崎沖の海底には数多くの安山岩が投石されていて、そこは海藻類や貝が豊富に育ち、魚たちが集まる理想的な魚場、海底牧場ができていました」
それは、すでに昔から小坪の漁師たちのあいだでは広く認識されていたようだ。難破船の積み荷であった真鶴の安山岩(別名小松石)が良質の漁場、豊かな海底牧場を作りだしており、海底牧場を作るには真鶴の安山岩を入れれば効果があるという事実だった。そこで、昭和37年から小坪の漁師たちが自費で安山岩を真鶴から買ってきて、まず大崎沖に入れたという。5年後には、逗子市と県と国から助成金が出て、平成11年まで19回にわたり大量の安山岩が大崎とカブネの礁の脇に投石事業がおこなわれていた。田中さんは、個人的にさらにこの調査を進め、逗子の情報公開で集めた投石事業の海底図を見て、もうひとつの事実を知ることになる。
そこは、サーフィンの世界大会が開催された逗子マリーナ沖の「カブネ」と「大崎」と呼ばれる、私たちの税金でできた海底牧場構想を持ったサーフゲレンデになっていたのだ。「安山岩を投石した場所が、サーフゲレンデになっているというのがわかったことがNPOアイデアルリーフの出発点でした。自然環境を保全しながら、自然素材の安山岩などを利用して、デザインされた磯(潜堤)にカジメやアマモなどの海藻類を植え、自然環境を再生する『磯焼け対策』としての海底牧場が作れる。さらに、安全に子供たちも遊ぶことのできる波をデザインできることを知りました。この事実は例えば、ひと昔前に過疎地と呼ばれていた雪山にスキー場ができて街が活性化したように、海底牧場と波をデザインすることにより活気のなかった海辺の街に再び人が集まり、地域が活性化するのではないかという提案なのです」
田中さんがNPOアイデアルリーフを設立したのにはもうひとつの理由がある。「1999年に海岸法が改正されて、法律的に防護だけを目的とした海中構造物にプラスして、環境と利用に配慮しなければいけなくなった。ということは、今まで施工してきた消波ブロックを積み上げた工法は、法律違反になるのでは?1999年以前に設置された防護だけの目的で配置された消波ブロックは、科学的データに基づいて環境に負荷を与え、景観を損ねているということがわかれば、海底牧場構想をもったデザインに配置換え、変更することができます。国は海岸の管理を県に委託していますから、県が中心になって早急に海の自然環境の再生に向け、公共事業のひとつとして前向きに対応することが望まれます」
最後に、田中さんに抱負を語ってもらった。「今後は、海の環境に負荷をかけていると思われる消波ブロックの積み上げ型工法の設計変更を管理者の県に要望し、『磯焼け対策』として魚たちが集まる豊かな海底牧場の造成が可能なブーメラン型の潜堤の設置です。波のゲレンデは地域の活性化につながる新たなビジネスモデルとなります。この提案を神奈川県だけではなく、日本全国の海を持つ地方自治体に情報発信していきたいと思っています」