『しぜんかんきょう』第二号
Interview #07
一色ボート 齋藤淳太さん
サラリーマン生活からの脱サラで生活が大きく変わった一色ボートの齋藤淳太さん
「海から岸を見たときに松林と山だけなので、御用邸がある一色海岸は静かで美しいビーチです」
葉山で生まれ育った齋藤淳太さんが大学卒業以来、続けていたサラリーマン生活に転機が訪れたのは、今から4年前だった。「嫁さんの実家は『とめぞう丸』という民宿をやっていて、漁師だったおじいちゃんの世代から民宿を営んでいます。義父の弟が釣り客向けのボート屋をやっていて、ボート屋は漁師と同じで世襲制なんです。それで、『誰かボート屋を継がないか?』という話がでたので、自然の成り行きで僕が手を上げました」
齋藤さんは20世紀フォックス系の会社や「ディズニー・ジャパン」、スパイダーマンのコミックを扱う「マーベル・ジャパン」、ゲーム会社の「カプコン」、そしてボート屋をはじめようと思ったときは、MTVやパラマウント映画などを傘下に持つ「バイアコ厶」という会社に勤めており、いわゆるキャラクタービジネスの世界にいた。「ボート屋の話が出たときは、最初は悩みましたね。収入はお天気任せ、サラリーマンとは違い、毎月銀行に給料が振り込まれるわけでもないし、嫁さんにも『楽しんでいる場合じゃないわよ。結果よ!』といい顔をされていません。でも僕は楽しんでいます。楽しまないと、仕事はできないから」
収入が半減しても脱サラをしてボート屋を継ぐ決断に至った齊藤さんの背中を押したのは、彼自身の生活環境にあったのだろう。「僕は昔から海で遊ばせてもらっていました。中学のときにはじめたサーフィンは今でも続けていますし。だから、ボート屋などだれもやりたがらないけど、僕は『面白そうだからちょっとやろうかな』というのが最初でした」
齋藤さんが一色ボートを継いで、最初にはじめたのが、貸したボートを監視するためのボート小屋の建設だった。「はじめた当初、ボート小屋もなかったので、まずボート小屋を建てて、ボートのレンタルをはじめました」
齋藤さんの生活は激変した。週5日の東京への通勤がなくなったかわりに、朝6時前には一色ボートのボート小屋を開けなければいけなくなったからだ。「ポートを借りる人の9割がたは釣り客で、釣りの人たちは朝が早いので、毎朝6時にはボート小屋をオープンさせています。漁師は朝6時までに網を上げにいって、午後3時以降に網を入れにいくので、昔から漁師との協定で朝6時から着岸3時と営業時間が決まっています。それで、僕かスタッフが毎朝6時前にボート小屋に来て、一色の海の風や波の状況などをSNSなどでアップしています」
もともと齋藤さんはビーチクリーンなどの活動に参加していたので環境問題に関心はあったが、一色ボートをはじめてからは自然環境に対する意識がもっと身近に感じるようになったという。「ボート屋をはじめる前は、波乗り仲間と一緒に鎌倉でビーチクリーンをしていましたし、あとは葉山町が主催するビーチクリーンに参加していました。でも一色ボートをはじめてわかったことは、ボートを借りる人のほとんどが釣り客なので、磯焼けなどで魚が釣れなくなるとお客さんも来なくなるので、海の環境問題はより切実になりました」
ボート屋の仕事は正月休み以外、ほぼ休みなしだという。齋藤さんは1年中ほぼ毎日、一色海岸の海を見ているということになる。そんな一色海岸の魅力とは一体なんなのだろうか。「御用邸があるから、住宅地がほとんど見えません。松林があって、公園があって、美術館もある。昔は全部御用邸の土地だったので、海から岸を見たときに松林と山だけなので、とても静かです。あと魅力的なところは、御用邸があるので24時間お巡りさんが周辺を警備しているので、それもすごく安心・安全なところです」
先日、CNNが実施した世界の厳選ビーチ100に選ばれた一色海岸は世界でも有数の美しい海岸として認定された。「世界の厳選ビーチ100で、一色海岸は66位に選ばれた美しい海岸で、富士山が望める夕陽は絶景です。CNNに報じられた後は、東京に住んでいる外国人の海水浴客が多くなったような気がします。それもメディアの力なんですかね。ボート屋をはじめてから、月1回、第3日曜日の朝の9時から神奈川県の美化財団と協力してゴミ袋や軍手を配布してビーチクリーンをやっています。葉山町民以外の方でも散歩がてらに気楽に参加してください。僕は、1年365日、一色海岸の日々の変化を見ているので、どんどんきれいになる海を今後発信していきたいです」