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『しぜんかんきょう』創刊号

Art Gallary

昭和30年代初頭の鎌倉の風景

​写真提供:川南 正

写真キャプション:

昭和30 年代はじめごろの稲村ケ崎の海岸

もうすでに江ノ電や国道134 号線は開通していたが、海岸は広く、ふところの深い海岸であることが見て取れる。道路の壁はいまのように垂直に切り立ってはおらず、なだらかな砂のスロープになっている。大きな波が来ても、あのあたりまで到達することはまれだったのだろう。明治の初期に撮られた稲村ケ崎の写真と比較すると、この写真には国道134 号線を通すために削られた稲村ケ崎の切り通しがぽっかり開いていることだ。かつて、この浜辺で野球ができたというほどに広い海岸線が稲村ケ崎から七里ヶ浜へと続き、夏になると、稲村ケ崎に3、4 軒の海の家が営業し、東京などからも海水浴客を訪れていたが、海岸浸食が進むにつれ、海水浴客は減少し、そして海の家は営業を休止せざるを得なくなった。海水浴場を謳っていた鎌倉の観光資源のひとつが海岸浸食とともに消失した

明治の稲村ケ崎.jpg

明治初期の稲村ケ崎全景。まだ砂がたっぷりあるが、そこには江ノ電もなく、当然国道134 号線もまだ開通していない。これが本来の稲村ケ崎の姿なのだろう。

稲村ケ崎の内陸から江ノ島を望む

国道を越してもまだ緩衝帯がつづく、稲村ケ崎の海岸のふところの深さがわかる写真だ。この角度の写真はほとんどなく、とても貴重な資料だ

134号線の稲村ケ崎の切り通し付近

かつて旧日本軍の軍用道路だった国道134 号線は、戦後、日本に駐留するアメリカ軍にとっても、厚木基地- 横須賀基地を結ぶ重要な道路なので、昭和20 年代後半には、歩道もある対面2 車線の道路の拡張工事がおこなわれた

鎌倉水族館

鎌倉坂の下にあった鎌倉水族館。昭和20 年代に撮った写真。昭和44 年頃には火事で焼失した。いまや貴重な鎌倉水族館の写真

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