持続可能社会とは!
ー 知恵と知識と努力と協力 ー
語り:佐藤延男
環境調査のために山を歩いていると、どの山にも1 ヘクタール(約3,000 坪)ごとに必ずひとつ、石を積んだ炭焼きの窯があることがわかった。初めてこの炭焼きの窯を発見したときは、昔の人たちの生活の知恵に触れて思わず感動してしまった。その炭焼きの窯の上にはいまではかなり大きな木が生えていた。たぶん、窯が使われなくなってから30~40年は経つのだろう。この周辺の山はまったく手入れがされておらず、荒れ果てている
放置された石積みの炭焼き窯
わたしは山に入るまで、日本の森林がこんなことになっているとはまったく思いもしなかった。今、持続可能社会とかSDGsなど世の中で騒ぎはじめているが、山に入るとわかるのは、40~50 年前の日本はSDGs どころではなかった。日本人は個々にみんな、当たり前のように持続可能な生活をしていた。
そんな昔から行われていた日本式の持続可能な生活を垣間見た瞬間があった。あるとき、山の生態調査をしていたときのこと、山の斜面に石を積んだ炭焼き窯を見つけた。その炭焼き窯を見つけた瞬間には感動して涙が出てきたほどだ。調べてみると、この石積みの炭焼き窯は、どの山にも1 ヘクタール(約3,000 坪)ごとに必ずひとつ造られていることがわかった。山で間伐した針葉樹とか剪定(せんてい)した広葉樹の木や枝をその窯で炭を焼いていた。
山の炭焼き釡は炭を売るためだけではなくて、もちろん良い炭は出荷したり自分たちで使ったりして、余った炭は山に撒いていた。つまり、山に戻していた。昔からずっとそういうことをやってきていたんだね。わたしも「協会で炭焼きをやろう」とずいぶんトライしてきたけど、炭を作ることはなかなか難しくて、挫折した経験がある。
余って撒いた炭がミネラルの元で、豊かな海が形作られている素(もと)になっていたんだ。山を整備して炭焼きをするといった、昔からの生活慣習があったのに、いつの日か、日本国中でやらなくなってしまった。これって、SDGsどころじゃなくて、持続可能な社会という考え方がない時代であっても、それを生活の知恵として自然と共生しながら生活してきたのが日本なんだ。
しっかり山を整備してきたから、木々のあいだから日の光が降り注き、光合成があって、土壌に栄養を蓄えて、その栄養を蓄えた腐葉土の上に雨が降り、そこからミネラルが田んぼに流れて、畑で水を使って、川を浄化して、そのあと海に流れ出たミネラルウォーターが海藻を作っていた。このような「地球(水)の大循環」という仕組みがある。